2018.03.20

クリスチャンとして

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「美しい国日本、美しい国ロシア」ツルゲーネフの有名な言葉だ。
たとい、戦時下であっても美しいと表現する勇気が素晴らしい!!

クリスチャンになったら、この言葉が一番先に浮かんできた。でもクリスチャンでも敵の前では銃を撃つ。私は「プライベートライアン」という映画が好きだ。
ネックレスの十字架にキスしながら「神よ私に力をお与えください」と狙撃銃を撃つ前半のシーンが好きだ。

たとい、クリスチャンでなくても人を殺してはならない、姦淫をしてはならないなど、人として当たり前のことだよね?
クリスチャンであることが、その律法に従うという逃げ道を作り、正当化するのは間違いだと思う。
あるときは立ち位置が変わり、神の律法ではなく、国の定めた律法に従わなければならないことも、あるだろうし、それは個人の判断で構わないと思う。
思い悩むことは、人間に与えられた永遠の宿命のようなものだから、あまり深く考えることはしないで、普通に生活していけばいい。

「汝、隣人を愛せよ」
むしろ、この言葉で私たちは救われているのだろうと思う。

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2018.03.07

究極の選択か?

たいがい、困ったちゃんの俺だが、これは神の導きか?

俺は牧師職(教職)への道を歩んでいるが、第一歩は4月に洗礼を受け達成する。
受洗の日が近づくにつれ、進学校の高額な授業料の壁に突き当たった。しかし、残った退職金と奨学金でギリで何とかなるが、先日、ある教会員から「寂しくなるな~」と言われ考えてしまった。
俺も寂しくなるな、とは思ってはいた。1年近く教会に通っていると、親しみが増してきて、この湯河原から離れることに抵抗すら感じてきていたからだ。

今の教会を変えてゆきたい、との思いもある。また、牧師にならなくても知識を学び続けることで、十分なのではないだろうか。。。

そんな時に、以前勤務していた旅館の支配人から連絡があり、私の身体を気遣うと同時に復職の誘いがあった。今の身体の回復具合では重労働ではないので、働けると思った。

事故という中途半端な状況で退職した俺だが、未練が残っていたこと、勤務中の評判が良かったと、支配人の熱い思いが伝わってきた。

考える時間をもらい、考えているが、もしかしたらこれも神の導きかもしれないと思った。
俺は「人のために尽くせ」と召命を受けた。ならば、これこそ天命、俺に相応しい生き方なのかもしれないと思っている。

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2018.03.03

変革とは?

Photo湯河原 西田方にて

俺はもうすぐクリスチャンになり、3年後の神学校入学を目指している。
先日、困ったちゃんがいて逃げたので罵声を浴びせた。
「お前なんか、かあちゃんのおっぱいでも触ってろ!!」

サタンに対して言い放った俺は、やはりサタンだと思った。しかし、俺がすっきりしたのは間違いない。陰口を言うよりも直接言ったのだから。。。

人は誰でも「律法」に対して義であると信じる。十戒(じっかい)がそうであるように、「隣人を愛せよ」とはいろいろな意味を含んでいる。

不正を行っている者は裁きを受けるのは当然である。「殺してはならない」とある。
彼は馬鹿だから、俺に対して感情的になり「律法」に背くであろう。

神の裁きを!
 

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2018.02.28

最近変わったことは

あまり変わらずにリゾートマンション暮らしをしている。
しかし、オリンピック期間中は不快だった。だいたい、あのビリヤードみたいな「カーリング女子」がうざったくて邪魔だったし、スキーもスノボもスケートも好きになれなかった。
カーリングのお姉ちゃんたちは、遊び気分で昔の「おはじき」と同じ感覚なのだろう。

娘と同じ世代だが、まずあり得ないが娘がカーリングに出場していても、テレビを見なかったと思う。ダンスをやっているが、見に行きたいとは思わない。

教会の仲間たちも不思議と同意見で、「テレビを見なくなった」輩が多い。湯河原界隈の喫茶店や居酒屋に行くと、必ずオリンピック好きな方がいてその情報を聞き流すのが手っ取り早いが、「カーリング」だけは皆嫌いらしい。オリンピック好きなのはうちの家内ぐらいだと知った。

湯河原は家内と違って「知的」な人が多く、埋もれている政治の話や国際的なグローバルな感覚を持っているのが特徴だ。恐らく東京オリンピックでも同じ傾向になると感じている。
私たちには「関係ないから」ときっぱりしているのだ。

それで、俺は教会通い、マンションの理事会活動、コミュニティカフェへの参画など忙しい日々を送っている。楽しいから嫌だ~とか思わない、自然な感覚になれるから面白い。

もちろん、リゾートマンションで自分のペースで海を眺めながら。。というコンセプトは基本的にあり、突然、絵描きになったり小説家を目指すかもしれないが。

いずれにしても、俺にとっては新鮮なもので常に空気感がある。人口2万5千人の湯河原町の住民は「都会」を嫌う、都会は空気が汚れている、水がマズイ、人が冷たい、夏は暑く冬は寒い、食べ物がおいしくない、オリンピックをやる。。。

俺のマンションは蛇口をひねれば「柿田川の伏流水」が飲める、人の温もりがある、夏は涼しく冬は暖かい。刺身は地元で朝捕れた新鮮な魚、野菜は無農薬が普通だ。

気が向けば日帰り400円の町営温泉に浸かり、ビールやワインを飲むのが普通だとみんなが思っている。酒好きタバコ好きにはこの上ない、ちなみに湯河原ではタバコを吸えない店はない。

そして湯河原の人は熱海を嫌う。

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2018.01.27

音楽

究極の選択。無人島に一つ何を持っていくか?去年の夏に牧師から聞かれた、「ギター」ですと答えたら戸惑っていた。「弦で魚を釣って食べられますから」

さて、牧師がどんな答えを期待していたのか謎である。
しかし、この手の質問はよく聞くが邪道だ。「ウイルソン」が友だった話を知っているし、目の前でトラックに轢かれた女性に、祈る神父の話も知っている。

それが「罪」だと赦免することが果たして出来るのだろうか?そして、それは理にかなっている行為なのか、俺には分からない。

ナチス時代、9.11、3.11。広島長崎への原爆投下、多数の死者を出した、でもその時に神は救いをしなかった。

「十字架に隠れた神」イエスをも殺した神。それで、説明しようとする神学者はおかしいと思う。つまり、人間や生物、海空大地は神が創造したのではないと、反論できる。

つまり、何かの事象が起きるとする、助かった人々は神に救われたと思うが、亡くなった人たちは天に召された、と考える今の神学やそれを信じるキリスト者に疑問を感じる。

神学の限界を痛切に感じる、ミトコンドリアイブ。私たちのDNAの構成の一部にある。キリストは存在しなかった、天地創造の神も存在しなかった。と考えることができる。

しかし、偶然を装いながら「奇跡」は近くにある。俺は確実に近い確率で2年前の事故で死んでいたはずなのに、恥ずかしながらこうして生きている。しかし、それが神の救いだとは思っていないし、むしろ子供に「奇跡」を恵んでくれなかったのか。

だから、俺は音楽を作り、小説を作り、「人のために生きる」本来は尽くすだが、同義語だと思う。

俺にとっての神はギターそのものでしかない。神もイエス・キリストも存在しなかった。と俺は思う。音楽のように明確な証拠を見せてほしいが、「聖書」は普通の小説だったとマルティン・ルターは感じていたのかもしれない。

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2018.01.22

この1年

早いもので、12月が過ぎて新年になっていたことに気付く。
12月はクリスマスも静かに過ぎて、教会で讃美歌などを歌い過ごした。夜の礼拝ではキャンドルナイトでこれまた静かで教会で過ごすクリスマスが好きになった。

31日は通常の礼拝で、年末年始という概念がなく新年を迎えた。というか、昨日から日付が変わっただけで、日の出は毎朝見てるし普段と変わらない。

ただ、変わったことは8月から週4回教会へ通うようになり、生活の糸が出来たくらいかな?
同時にマンションの理事会活動があり、それなりにやっているが、仕事があったら出来ないことばかりしている。
コミュニティカフェでライブをやったり、曲を作ったり小説を書いたり、自然にやりたい方向へ向かって歩いているようだ。

定年6年前倒しに仕事を辞めて、湯河原に移住して、自分では良かったと思っている。60歳まで働いていたらきっと自由に暮らせなかったと思うし、当然ながら両親の介護もできなかっただろう。
疲れ果てて全てがいい加減になり、体を壊し、余裕がなくなったらこれは最悪だ。

今年もクリスマスはやってくるのだから、きっと来年も。。考えるならそれくらいでいい。

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2017.12.12

仲間が増えた

誰でも器があり、それが与えられているとしたら、それは間違いだと気づいた。

移住して4年が経ち、与えられた器に満足できなくなり、湯河原の町で生きて行こうと決めたらどんどん仲間が増えた。試行錯誤はあったが、駅前でギターを弾きたいと思っていたら、カフェで弾かせてもらえ、初のソロライブをやった。
FBを見て聴きにきてくれた方もいて、すごいな~と思った。

器なんて、生きてきた過程で自分で勝手に作って、壁になったり防御の言い訳にしたり、結局もともと無いのだと思う。

そんなものはとっとと取り払って、自分の個性を生かすこと、そして理解しあえる生き方をしたほうがいいと思う。

しかし、俺のように或る日突然退職し、セカンドライフを模索するのは困ったちゃんだが、そんな輩も世界にいたってどうってことはない。

理解のある友、仲間がいれば俺はムーミン谷でも住もうと思う。

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2017.12.04

思いつくまま

ADSLの切り替えで、暫くPC から繋がらない。そんな時に限って書きたいことが出てくるから不思議だ。

普段当たり前に出来ることが出来ないと不便だと感じてしまう。去年は事故で入院して『絶対安静』で、寝返りも出来ない、寝たきりの日々が二か月間あった。

でも、歩きたいとか考えなかった。

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2017.11.28

続 言の葉

気持ちを書いたら少し落ち着いた。ので説明を。。

「ザマ~ミロクン」はもちろん俺の愛称でもなく教師の悪ふざけで、冗談にもなっていないので
「先生~あのね。そんな人いませんから」と云ったら慌てていた。それ以降「ハゲハラ」と呼ぶ。

中学の女教師は母が戦後、アメリカ将校相手の慰安婦だったことを知っていた。
「俺の悪口は云ってもよいが、今後二度と母の悪口を言うな」と職員室で大声で叫び、後で校長から厳重注意をされたそうだ。それ以降「逝かず後家」と呼ぶ。

職場の上司は当時、アルコール依存症であった俺を一番嫌いな言葉で刺した。電車内で「ではあんたは朝から、隣人のタイの女性の話をするな」上司はワーキングホリックスだった。
以降「バカナベ」と呼ぶ。

これら3つのケースはかなり陰湿で、「バカナベ」に至っては一方的でかつ自己欺瞞の典型であり、同じアルコール依存症者を死に至らしめた輩と同じである。因みに職場では3名以上死んでいる。

言葉は二度と帰ってこないのだから、慎重に吟味しなくてはならない。口に出す前に「10秒考える」たったこれだけで、一生重荷を背負わなくて済むのだから。

もしも、人に言われた事で落ち込んで欝なり、死ぬことを考えていたら。。

無理しないで学校や職場を辞めた方がよい。なぜなら、これらの輩は「反省しない」から変わることなく俺たちの人生に悪影響を及ぼし続けるからだ。

こころがある人たちと共に過ごしなさい、学校や職場など捨てたって「人生は100通りの生き方」がある。親や配偶者が冷たかったら別れた方がよい。

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2017.11.27

言の葉

一度発した言葉は、一生涯人を苦しめる
小学校の担任 杉原氏 朝の点呼にて
「次、ザマ~ミロクン」 無視「ザマ~~ミロクン」

中学校の担任 遠藤氏 私の過ちについて
「あなたがしょうがないのは、あなたのお母さんがああだからよ!」

大手不動産会社 渡邊氏 飲み会帰りの中央線車内にて
「お前は朝から酒の匂いをぷんぷんさせてやがって」

この3つの言葉は俺を刺した。

これら3人に罰を下した。しかし幸いかな、この愚かなものたちを許す日が来るであろう。
それまでの間、もしも生きているならこの重荷を背負って生き続けることだろう。

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日々つれづれに。。

4年前に24年間勤めた会社を辞めて、熱海に移住した。辞める前にリゾートマンションを購入してあった。資金は社内預金から支出し、現金で支払った。そしてしばらく週末移住が続き、鳥が巣作りするが如く、リフォーム済みで真っ新な部屋で取り敢えず最低限必要なものを買い揃えた。
まずは寝るための布団。これは安い3点セット(敷布団、掛布団、まくら)を近所のショッピングセンターで買い、軽トラックを借りて運んだ。週末移住のワンステップ、あとは酒があればいい。
次に音楽が聴きたくなったので、「アマゾン」でミニコンボを買った。小さいがワンセグも映りこれは良かった。
十五夜の日、友人が早速やってきた。湯河原駅でほんの少し年上の女友達が先に到着し、寿司屋に行った。といっても、ランチ1000円で握りが食べられる。まずは生ビールを頼み寿司をつまみ荷物があったのでリゾートマンションへ行き、後続の友人を待った。
十五夜が空に昇った頃、彼がやってきた。やあやあ、といった具合に乾杯して近所の自然薯の店に行く。ムーンロードを眺めながら話に花が咲く。
同じバンド仲間なので、今度はギターをプレゼントすると彼がいい、期待したが未だに持っては来ない。
翌朝6時半の日の出は見事だった、この感動はいまでも俺の原動力になっていると思う。
そして、帰京の時が来た、真鶴の評判の店で新鮮なとれたて刺身の豪華船盛を3人で食べた。
この時間も鮮明に覚えているが、残念ながら店の名前は忘れた。
愉快な仲間と過ごしたリゾートライフ!過ぎたるものにしたくなく、会社を辞したのはこの数か月後だった。
とにかく、突然の出来事だった。いつも通り満員電車に乗り、職場に辿り着いた。突然、すべてが色あせて見えた、モノクロの職場だった。上司に「すみませんが、気分がすぐれないので帰ります」と告げた。
それ以降、出勤せずに熱海にこもった。そうしたら、今まで無意味な生活を、否、人生を送ってきたのかを痛切に感じ、二度と東京へは帰れまいと思った。
退職は簡単だった、電話で人事部に告げたら手続きを進めてくれ、数千万円の退職金が口座に振り込まれ、毎月の企業年金も振り込まれ、何もかも問題なく終わった。
夢は現実になる、しかし夢を追わないものには何もなし!!
今の夢は「牧師」として、「作家」として、「ミュージシャン」としてなどなど、無限にある。
次は、セカンドライフの節約術など気が向いたら書いてみる。
*この私小説の最後に語っておきたいことがある
最近、都会で流行っている、企業戦士、学生の自殺などのニュースが目につく。他人事だから、俺みたいな他人が口を出すには烏滸がましいが、辛かったら我慢しないで俺のように電話で辞めなさい。
今、辛い。辛かった。。でも死を選ぶ前にもしもこのブログを見たらメールくださいな。
一歩でも、とりあえず職場、学校に行きますか?今日会社や学校に行きたくなくなったら、会社や学校を辞めなさい。身分もへちまもありません、親にはあとで説明すれば済みます。

貴方のその勇気は人生の階段を一歩昇るきっかけになると信じます。
#自殺
#仕事
#学校
#親
#やめたい
#生きる
#夢

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2017.11.26

この町が好きなわけ

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先日、30年振りに美容室へ行ってみた。伸びた髪にパーマをかけてもらうが、なかなか快適な時間を過ごした。

スタッフの20歳台の女性と話したが、俺が生来、吉祥寺で過ごした話をして「ペパカフェフォレスト」でも話そうかと思った。

しかし、彼女が1年前くらいに初めて、吉祥寺行ったとき「駅の目の前の大きな家電量販店のビルに驚き、ランチで行った店が狭くて対照的でした」と印象を語った。

しかり!である。 湯河原とは対称的であり、俺がこの町に惚れたわけを確実に捉えていた。

数百年前、源頼朝を救い鎌倉幕府の礎を担ったこの町の人々は、今でも人にやさしい。それを書きたい気持ちもあるが、万が一「芥川賞」などとってしまい、人が押し寄せてくるのは困るから、敢えて書かないことにする。

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2017.11.24

とりあえず!


Windows Phoneから送信

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もうすぐ5時、日の出まで1時間半。寒いのでストーブでバターチキンカレーを作り?ビールを飲む。

相変わらず、教会に通う日々だが、とりあえずそんな感じで過ごしている。

しかし、この夏から続いているから『とりあえず』もなかろうと思うが、数日で教会暦『降臨』(クリスマス前の4週)を迎える。

God Bless For You!!

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2017.10.30

生活の糧

とりあえず台風は去り、何事もなかったかのように星空が空にある。

2週続いた雨の主日礼拝、参加者が半分になるのは高齢者が多いので仕方ない。

湯河原も熱海も高齢化が進んで、若者が減り続きそう遠くない将来、熱海も市から町に戻るのは間違いなさそうだ。むしろ住民にとっては有難いのだが。。

スローな生活は心地よい、鳥のさえずり、波の音、星空そして月の道、日の出。

こんな快適な環境は他にも無いだろう。

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2017.09.01

近況など

朝、2~3時起床、大浴場へ行ってからベランダでビール&ガラムから一日が始まる。
5時、連れ合いが犬の散歩に行っている間に朝食の支度をする。
用事のない日はバスで『すき家』 へ行ってビールなど。

午後は昼寝して、15時みんなおやつにして、またビールを飲み、夕食を摘みながら4~5本目のビールを飲み、だいたい20時頃、就寝する。
最近、教会へ出かけるのでそんな日は礼拝後、駅前でランチwithビールとなる。
ビール会社から表彰されたい。

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2017.07.18

命日。。

この一年、無駄な人生を送ってきた。らしい。。
一年間、昨年の今頃は、否明日が俺の命日、残念ながら生きてしまったからそれは妥当ではないかも知れぬが、世の中で生きたくても生きられなく亡くなって、命を落としてしまった子供、若者やすべての人々に、俺が死をもって償えることができるならば、もしも俺の代わりに生を授けることができるのなら、

喜んで捧げたい。生は生きたいと願う人間に与えられるべきだと思う。双極性障害の俺にはおそらく未来はないと思う。誤解のないように記述するが、精神科で様々な薬を処方され、それらは医師の金儲けのための詐欺だったと知った、
「溺れる者は藁をもすがる」
すがったサ、しかし所詮藁だった、「懸命にすがったら藁だった」

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2017.06.18

欝から脱出

一か月前からウツになり、何も出来なくなっていた。食事も風呂も歯磨きも髭剃りもな~んにも。。。
ほぼ一日中寝ていた。

それが一週間前から突然、何かが閃いたかの如くノコノコ起きだして空腹を覚え、シャワーを浴び寝込んで弱った筋肉を目覚めさせるかのように、ゴミ出しによろよろと行ったりした。
ただ、睡眠障害が強く眠剤飲んでも眠れない日々は続いている。ウツの時はいくらでも眠れるがフツーになると眠れなくなるのです。
でも、あの千と千尋の神隠しの旅館は4月に退職したので眠れなくても構わないので、気にしないことにしている。

欝→普通→躁→欝  このパターンが多いような気がする。なんかすごろくの「振出しに戻る」を延々と、そんな人生もクスッ と笑えるようにはなれないだろうか?

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2016.12.20

師走

12月も早いもので、あと10日を残すだけになった。

今年はマンションの売却から始まり、再就職、交通事故&入院生活、リハビリで何となく過ぎた一年だった。

ただ支え合う意識だけは何処かに芽生えたような気がする。

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2016.11.29

思い出ドライブ

東京から伊豆下田まで6時間かかったものだ。
今は、熱海を9時過ぎに出発して、12時過ぎに下田に着き「道の駅 開国下田みなと」で昼食とした。
135号線は海辺を走り、海が光っていて奇麗だった。

下田には「海上保安庁の巡視船 しきね PL66」が停泊していた。ヘリは搭載できないが私には海賊船よりも興味がある。

道の駅は魚市場の目の前にあり、新鮮な魚介類が食べられる。ウニ、イクラ、マグロの三色丼1600円。など。。
土産を買い、連れ合いから交代してハンドルを握った。コースは大型車が通る狭い道路がある湯ヶ島、修善寺なのでループ橋もあり不慣れな彼女には無理だろう。

紅葉は奇麗だったが、山間の峠道なのでヘッドライトを点け、下手なドライバーが大型車の後に着いてきて、こっちが停車しなかったら危うく衝突するところだったりした。
修善寺で首も痛くなってきたので、連れ合いに交代してもらい、熱燗。。じゃなくて、熱函道路を抜けて熱海へ着いた。函南で「オラッチェ」や天然酵母パンで有名な「マリー」があったが、時間的にパス。

海は毎日見ているが、湯ケ野~湯ヶ島付近の山も落ち着いていていいが檸檬の作者「梶井基次郎資料館」があったはずだが、何せ首が回らないので(笑)見つけられなかった。
定宿の「湯川屋」にあったが、どうやら廃業してしまったらしい。36年前に連れ合いと泊まったが風情があったのに残念だ。

36年という月日の狭間で、電車と東海バスで廻った谷は今はもうない。ループ橋もいらない、有料道路もいらない。
ただ、目の前の海はきっと、ずっと昔から変わってないんだろう。波の音も。。。

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2016.11.28

自然な生き方

 昨夜、就寝前に首に巻いた「ソフトカラー」は外していい、医師から言われたが寝相が悪いせいか今日は朝から首や頭が痛む。
一応順調に回復傾向にある(マヒ、後遺症なし)ので、車の運転ぐらいは連れ合いよりかは上手いだろう。

事故の車は普通車で「ソリオ」だったが、結構丈夫だったが結局廃車になった。
正面衝突で運転席も助手席も潰れたが、これは仕方ないが、ただエアバックに首を強打して助手席側から這い出したが、エアバックがなかったらフロントグラスに頭を打ち付けていただろうし、どっちにしても即死だった。

入院生活は苦痛だったが、死には比較にならないのか、私にはわからない。
ちなみに死刑の場合、日本では首吊りだが、下手をすると死なない場合がある。それは頸椎に縄が当たった場合だ。骨折はするが骨髄を損傷しない限り死なない。
顎の下に第一頸椎(C1)がある、次に私が骨折した第二頸椎(C2)がある。
つまりそこの隙間に縄をかけないとならない、脊髄を絞めることができないから結構注意しないとならないので、必ず医師が同行する。
しかし、呼吸中枢を圧迫するだけなので最低15秒間生きている。私は背後脊椎だったが15秒間生きて、呼吸が苦しかったが「発煙筒を焚いてください」とだけ言えた。
 
その後は意識を失い丸一日寝たきりで、気が付いたら綺麗な看護師さんがおにぎりを食べさせてくれた。だからおにぎりの味しか覚えていない。
その時の記憶だけは定かだが退院した今、死と生に対する倫理観がなくなった。
ただ、生きたいと思うこと、死にたいと思うことは=だと思う。あまり長生きして迷惑かけたくはないと思う。
 
自然な生き方を考察して。。つまり厄介なことが一つ増えただけ。。。
人間の明日なんて分からないに決まっている。
 
ただ一つだけ確実なことは、りくと一緒に寝て、6時にりくと一緒に散歩に出かけることだけだ。
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