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2015年12月

2015.12.21

酒と煙草

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                      <りくのお気に入りのトゲトゲ坂>
                         

酒か煙草、どちらかを止めるとしたらどっちか?
以前、そんなことを聞かれたことがあったが、即座に「煙草」と答えていたことがあった。酒を止めるなどとんでもない話で、死ぬまで飲んでやろうと心に決めていたものだ。

しかし、今回の事で断酒することに決めた。退院する前にDrから「2年くらい居てほしかったのになぁ、でも再飲酒してしまったらまた来てください、1~2週間でもいいから」と言われた。
今思うと、優しいDrだったが残念ながらもう入院はごめんこうむりたい。自然環境のいい場所にあって閉鎖病棟ではあるが、ニワトリや鳥の声が聞こえたり、何よりも喫煙室で6時~20時まで自由に煙草を吸うことが出来たので、環境としては私に合っていたのだが。。

閉鎖病棟から脱出(退院)したときは日差しがやたら眩しくて、シャバに出たってこういうことなんだなと感じた。
これからは好きな場所に行けるのだから、自由を手に入れたのだ。鳥小屋のような喫煙室なんかでなく大空の下で煙草を吸うことが出来る!真っ先に浮かんだ感情だ。

自由を手に入れるとスーパーやコンビニエンスストアに行って酒を簡単に手に入れることができるので、最初は不安だったが、薬が効いたのか三度の食事と睡眠を規則的にとれるようになると、酒に頼らなくても生活に支障はこれっぽちもなくなった。

ただ失ったものは、友人達だ。必ず酒席を前提とした音楽の仲間やコミュニティの仲間たちとは会わないようにした。どこへ行くのもいつも妻と二人で出かけ、二人と犬一匹の生活を毎日楽しんでいる。それだけで充分なのだ。

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<左からガラムメンソール、ガラム、ガラムマイルド>                         
煙草は入院中に吸いたくなった、ガラムという煙草。普通の煙草屋では扱っていないため、小田原や茅ヶ崎に行きカートンで購入している。今まで吸ったタバコの中で一番美味いのがこれだ。

朝起きてから、ベランダで吸うガラムとジンジャエールは最高のひとときをもたらしてくれる。ジンジャエールは瓶入りもあるが、ペットボトルのウイルキンソンの辛口がいい。カナダドライのジンジャエールは入手しやすいが、ウイルキンソンはバーやカフェなどで提供されるそのものだ。徒歩で20分のスーパーで売っている。

煙草は他にも缶ピースを時々吸う。ちなみにガラムは昔サーフィン全盛期のころサーファーが愛用していたから、海辺に行くとこの香りをかいだものだ。
丁子が含有してあり日本の煙草にはない独特のフレーバーがする。ちなみにインドネシアの塩工場で甘い煙草を従業員に配ったのがきっかけらしい。

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                       <千歳川沿いの散策道>                             

朝6時「鳩と少年」ジブリ作品「天空の城ラピュタ」でカズーが吹くトランペットで目覚め、ベランダで簡単な柔軟体操をして、りく(愛犬)が起き出してきたら散歩に連れていく。天気がいいと布団を干して、8時頃の朝食後、読書などして過ごして10時過ぎに、今度は私たちが散策を兼ねて買物などに出かける。図書館だったり、クリニックに行ったりお昼の弁当などを買ってバスで帰宅する。

午後はたいてい、りくと2時間~3時間昼寝をする。起き出すと妻が夕方のりくの散歩に連れて行く。
夕食後の自由時間を過ごし、11時頃には就寝する。夜はお気に入りのテレビ番組をみたり、地元のラジオ「熱海湯河原放送曲」を聴いて過ごす。

最近はクリスマスソングが増えて気分だけXmasを楽しんでいる。特別なことはなにもしない。年末に紅白をみて年越しそばを食べるくらいだ。大掃除するほどの部屋はないから何もしない。

なんにもしない生活が熱海移住生活の決まり事だから、毎日一つくらいの発見をして過ごしている。

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2015.12.19

退職から移住まで

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2014年7月に退職した訳は突発的な感情の変化もあったが、勤続20年以上で企業年金が受給できるという制度があったからだ。きっちりと計算したわけではないが、退職金と企業年金と半年間受給できる失業手当(雇用保険)で身の丈で生活していけると考えた。
移住してから国民年金受給を60歳からにしたので、5年間もてば生活に影響はないし、いざとなったら自宅のマンションを売却する手もあった。もちろんローンが80歳まで残ってはいるが売却すれば買値よりも高く売れることは相場を調べてわかっていた。

確かに60歳で定年退職すればその分、優雅な生活を送れるだろう。定年延長は65歳まであるから仕事が苦痛でなければ文字通りのセカンドライフを満喫できるだろう。
しかし、例えば65歳から起業したり新たなチャレンジは肉体的にも弱ってくるし、親の介護などを抱えることは目に見えてわかっている。
他人は他人、自分らしい生き方をしてみようと、すでに入社した当時から考えていた。子育ても終わり子供も二人とも成人になって自分たちの行きかたを見つけることだろう。親としての役割は終わった今がチャンスだと考えた。

しかしこれは建前で本音は毎日酒を飲んで優雅に暮らしたかっただけなのだ。そんな馬鹿が世界に一人いても構わないし人はいつ死ぬか誰もわからない。実際に職場ではアルコールで3人亡くしていた。
今度は私の番だと思った。私に万一のことがあったとしても、マンション2つと生命保険で家族は充分生活していけるとも考え早急に行動に移す必要があった。

ところが、昨年2014年10月に義弟が50歳という若さで突然亡くなった。真面目な気の合う義弟だったのでショックからしばらくの間立ち直れなかった。酒量はさらに増し、葬儀の時足が震え立っているのが精いっぱいだった。献杯の席では手が震えてビールを注ぐこともできない状態だった。まわりはきっと緊張していると感じたかもしれないが、明らかに禁断症状そのものだった。

妻は半年泣き暮らし、遺品の整理など実家に通い、私はひたすら何かに憑かれたかのように、酒を煽る日々だった。
墓地に埋葬する日の晩だった。神奈川の妻の実家の近くの旅館に泊まり翌日、台東区の菩提寺に納骨に行く予定だったが、夜中寝汗が止まらず体が震えてきて早朝タクシーを呼び一人熱海に帰った。雪が積もる寒い日だった。

旅館で就寝前に妻から一言涙ぐみながら「やっぱりアナタには長生きしてほしいの。。」と言われた。
その後台東区から実家の近くの寺に移骨することになり、その時も具合が悪かったが、前日湯河原駅の近くの民家で放火殺人事件があったので、もしもの事を考えタクシーを呼び私も同乗することにした。
人生何が起こるか分からないとはこのことだと思った。

2015年6月頃からいよいよ体調が悪化して、精神安定剤と酒を一緒に飲み熱海市の病院に二度目の救急搬送された翌日、いよいよ神奈川県の精神病院に入院することになった。当日、やはりハイボールを2~3杯飲んでいたが受け付けてもらえ喫煙も可能な病院にタクシーで行った。
7月~9月にかけて二か月半の間、更生生活を送り、退院後は一切アルコールを絶った。2013年に日本で認可され使用可能となった新薬のレグテクトという断酒補助薬を服用し、通院は熱海の心療内科で定期的に診察を受けγGTP値は1000から標準の30まで下がっていた。

入院中の頭部CTスキャンで前頭葉の1割に脳萎縮があることが判明していたが、言語能力は正常とみなされた。断酒により萎縮の進行はなくなるとのことで、これ以上はボケたくないから一生断酒する覚悟ができた。レグテクトは実際に断酒に効果があり、アルコールを摂取しなくても安定して生活を送れるようにまでなった。
最近、静岡県から自立支援医療受給者証が届き、高額な新薬も1割の自己負担で済むようになった。

今回の入院では前回の東京での入院生活と違い、アルコール依存症だけでなく大麻や覚せい剤などの薬物依存症患者、痴ほう症患者など男女一緒の病棟だった。患者同士の話の中でもっといろいろな事を学ぶことが出来た。
さらに退院前日のDr面談にて病名は「双極性障害」と正式に診断され、副障害としてアルコール依存症だと分かった。
現在は双極性障害の治療で、以前は躁鬱病と言われたが、私の場合はうつ病症状が強くアルコール依存に至ったのはそれが原因だったようなので、主に治療は服薬中心で毎食後レグテクトと朝夕安定剤、就寝前に安定剤と睡眠導入剤を飲んでいる。

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二拠点居住の日々

2015年12月も半ばを過ぎ、東京から熱海に移住して、丁度1年になるので、この1年の出来事を振り返ってみたいと思う。

昨年までは東京で働いていたが6月ごろ突然早期退職を考えるようになった。毎日の通勤も含めて都会暮らしに嫌気がさしたからだ。

2013年10月に「別荘」として熱海市の中古マンションを購入してあった。当初は週末移住場所として利用していたが(二拠点居住)、次第に気に入ってきてここを本拠地にしようと思い、新幹線通勤も含めて検討した結果、東京から離れて暮らすことに決めた。

朝6時に湯河原駅から東京まで2時間以上かかるから、8時半には出社は可能で新幹線なら40分で着くから通勤不可能ではないわけだが、実際に通勤してみたら楽に座れるし時間をがあるからウォークマンで交響曲なら2曲は聴ける。だが実際は眠ってしまったが。。会社に問い合わせたら住民票が東京でも通勤費は出るが新幹線は自腹になる。帰りは電車は座れるが駅からバス便がないから30分弱の坂道を歩かないと帰宅できない。
朝5時に家を出ることと(あるいはタクシーは往復2000円)などを考えたら、定年までの5年間を耐えきれない。

したがって7月に24年勤めた会社を退職した。退職金と企業年金で生計を立てて再就職は念頭になかった。とりあえず1年間は何もしないでのんびり過ごすと決めて、熱海でボランティアなどをする程度だった。町おこしの構想は以前から移住してから本気で取り組んでいこうと考えていた。

しかし、この一年は入院2回、眼球の負傷、膝の故障など医者の世話になりっぱなしになった。以前から問題のあったアルコール依存症が悪化して行き、体調を完全に崩してしまい救急車で搬送されることも度々あった。

リゾート暮らしに酒は欠かせない考えていたから、早朝、日の出を見ながらビールなど飲みほぼ一日中焼酎などを飲んでいた。買い物は幸いに熱海のネットスーパーが始まったので、スマホから食料品や酒などを注文するとその日に配達してもらえる。嗜好品の煙草は湯河原の煙草店で配達してもらえたから、生活には不自由しなかった。

1.8ℓの焼酎は3日で消費した。以前もアルコール依存症で更生入院したことがあったが再飲酒から数年で肝機能の判断数値のγGTP値は1000を超える勢いだった。アルコールが体内から抜けると禁断症状が現れ、頭痛などが激しくなりまた飲酒する。この生活を繰り返していた。

妻は頭痛などが緩和されるならと飲酒に対して比較的寛容だった。また欝状態になると食事も摂らずに一日中死んだように寝ていて、トイレ以外は床から離れることはなかった。

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